第二章:出版部と漫画部/1965.3.26から1,2週間

−株式会社虫プロダクションの二つの課−

虫プロ出版部(出版部出版課)と漫画部(出版部漫画課)で、千葉に一泊旅行に行ったことなど。


 さて、前の章で『冒険王』の阿久津さんに手酷く威されたことを書いたが、この一件だけは明瞭に覚えているものの、その後のことをまったく覚えていないのに気付いて、今呆然としている。たぶん頭が真っ白になってしまっていたのだろう。
 とにかく、手塚番の第一夜、手塚先生がどんな様子だったのか、泊まったのが一人だったのか、別に誰かがいたのか、そんなこともまったく記憶にない。完全にホワイトアウトしている。従って、これから書く翌朝の様子も、おぼろげな記憶の中のことなので、多少別の日の出来事などが入り混じっているかもしれない。
 しかしまあ、手塚番初体験の数日の記憶としては、あまり間違っていないはずだ。

 何時に起きていいかわからなかったので、最初の朝だけは早めに起床した。ワイシャツ、ネクタイ、紺の背広を着込み、蒲団をしまって、トイレ横の洗面所で顔を洗い、手塚先生の仕事場、つまり漫画部の部屋に入る。
 まだ誰も出勤していない仕事場は、がらんとしている。出勤時間(9時だったか9時半だったか)前なので、タイムカードを押しに行くにも早すぎる。所在ないので、あちこちに転がっている、出版社寄贈の漫画雑誌をめくっていると、ドアが開いて、お盆を手にした悦子夫人がお出ましになった。

「おはようございます。手塚の家内です。これ、よろしかったらどうぞ」と、トーストとコーヒーが載ったお盆を、テーブルに載せた。
「ありがとうございます。いただきます。これからよろしくお願いします」
 泊りの編集者には恒例のことかと思ったが、その後そうでもないことがわかった。たまにお手伝いさんが、どんぶりに入れた即席ラーメンを持って来てくれることもあったが、通常は朝食は出されない。今考えると、仕事場の隣のご家族の食堂で食事していた手塚夫妻が、僕が起き出したのに気付いて、自分達の朝食をお裾分けしてくださったのだろう。

 出勤時間が近づいたのでタイムカードを押し、出版部の部屋に行ってみるが、まだ誰も来ていない。何をしていいかわからないので、また漫画部に戻る。定時に出勤して来たのは、総務部所属の社長秘書の田中嬢だけだった。色が白くポチャポチャっとしていて、涼しげな目をしている。
 やがて「おはようございます」と、先生がご自分の机の奥の扉から入って来て、田中さんと今日のスケジュールの打ち合わせを始めた。あまり聞き耳を立ててもいけないので、漫画雑誌を読んでいると、田中さんの鈴を転がすようなきれいな声が部屋に響いた。
「いいえ!先生は確かにそうおっしゃいました。私はちゃんとこの耳でお聞きしました!」
「ボクは、そんなこと言った覚えはないいんだけどなあ」
 どうやら先生が、何かの予定を、前言を翻してキャンセルしようとしたらしい。田中さんの、ここで負けてなるものかと言わんばかりの声音に、こうしたことが日常的にくりかえされているらしいことがわかる。
 と、突然ドアが開いて「──さんってどなたですか?」顔だけ出した男が言った。
「僕ですが…」
「レストラン杉です。250円いただきます」と、小さな注文書を差し出した。見ると「虫プロ出版部──」「杉ランチ250円」と書いてある。昼食用に食器を下げに来たついでに、社内を集金して歩いているらしい。「あ。はい」と、慌てて昨夜の夕食代を支払った。そうだよなあ。僕は虫プロの社員なんだから、よその出版社の手塚番みたいにお客様じゃないんだ。自分で払わなきゃいけない。今度出前を頼む時は、かどやクラスの店にしよう。と、心に誓いながら。(ふと思い出したが、この昭和40年当時、ロードショーを観に行った時に僕が必ず食べたのは、新宿駅前の30円のカレーライスだったっけ)
(2007.4.19記)


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